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目次 第1章 第2章 第3章 第4章 第5章 第6章 第7章 付録 図表目次

たばこ流行の抑制 たばこ対策と経済

第2章

喫煙の健康影響

 たばこの健康影響については、これまでさかんに論じられてきた。本報告書では、こうした情報の詳細をあらためて記述するのでなく、明らかになっている点の概略のみを述べたい。本セクションは、ニコチン依存症について短くまとめた部分と、たばこを原因とする疾病負荷について記載した部分の2つに分かれている。

喫煙の依存性

たばこには、複数の国際的医学機関で依存性があると認められたニコチンが含まれており、たばこ依存はICD(国際疾病分類)にも記載されている。ニコチンは、止めたいという気持ちがあったり、止めようと繰り返し努力するにもかかわらず止められないという点や、脳に作用し精神活性作用を生むほか、精神活性物質の「強化」効果が行動を駆り立てる点など、嗜癖(addiction)ないし依存(dependence)に関する主な規準を満たしている。紙巻たばこの場合には噛みたばこと違って、吸い込んでから数秒という速さでニコチンが脳に到達し、喫煙者は吸いながら量を調節できる。
ニコチン依存症は瞬く間に発症する。喫煙を始めたばかりの思春期の若者の場合、ニコチンの代謝産物であるコチニンの唾液内含有濃度は時と共に急速に上昇し、定着した喫煙者の水準に近づいていく(図2.1)。平均的なニコチン摂取量でも、薬理学的効果を現し、喫煙習慣を強化する役割をするのに十分である。しかし、多くの若者は依存症になる危険性を甘くみている。米国の若年喫煙者の50%から75%は、少なくとも1回は禁煙を試みたことがあるが、成功しなかったと述べている。高所得諸国の研究からは、16歳にして早くも喫煙者の多くが紙巻たばこを吸ったことを後悔しているものの、止めるのは不可能だと感じていることを示唆している。



図2.1 若年喫煙者の体内で急速に高まるニコチン・レベル
英国の思春期少女における唾液内のコチニン濃度

出典:McNeil, A. D. and others. 1989. ''Nicotine Intake in Young Smokers: Longitudinal Study of Saliva Cotinine Concentrations.'' American Journal of Public Health 79(2): 172-75.

他の依存性物質と同様、ニコチンも完全に断ち切ることができる。しかし、まったく支援なしで禁煙に個人的に成功する率は低い。最新の研究では、支援なしで禁煙を試みた常用喫煙者のうち、1年以内に喫煙を再開する人の割合は98%にもなると結論づけている。

疾病負荷

2000年中にたばこが原因で死亡する人は世界で約400万人にものぼるとみられている。現在すでに成人10人に1人がたばこで死亡しているが、2030年までにはこれが6人に1人、すなわち年間1000万人規模になるという。これは他のいかなる死亡原因をも上回るだけでなく、2030年における肺炎、下痢性疾患、結核および出産合併症を原因とする予測死亡件数の合計をも上回る。現在の傾向が続く限り、今生存している人のうちの約5億人が最終的には喫煙で死亡することになり、そのうちの半数は働き盛りの中年期に死亡し、20年から25年の寿命が縮まることになる。
かつては高所得国の男性に限られていた喫煙関連死亡も、今では高所得国の女性や世界中の男性へと広がっている(表2.1)。1990年には喫煙に関連した死亡の3件に2件は高所得国か東欧および中央アジアの旧社会主義国で発生していたのに対し、2030年までにはそのような死も10件中7件が低・中所得諸国で発生すると見られている。現在の生存者のうち喫煙が原因で死亡すると予測されている5億人のうち、約1億人は中国人男性が占めることになるだろう。

喫煙から発病までの大きな時間差

にもかかわらず、高所得国以外の地域では、喫煙を原因とする死亡や障害の危険性をまだ実感するに至っていない。これは、喫煙を原因とする疾患は発症までに数十年を要する場合があるためだ。喫煙率がきわめて高い国でも、健康被害がまだ目に見えていないといえる。この点を最もよく示しているのが、米国における肺がん発生の推移である。米国で紙巻たばこの消費量が最も急激に伸びたのは1915年から1950年にかけてだが、肺がんによる死亡率は1945年になるまで急激な上昇を示さなかった。肺がんの年齢調整死亡率は30年代から1950年代に3倍になったが、1955年以降の伸びはさらに著しく、80年代までに、1940年当時の水準の11倍になった。
世界の喫煙者総数の4分の1を抱える中国における現在の紙巻たばこの消費量は、1950年当時の米国の消費量に匹敵する量となっている。米国の1人当たりの消費量はこの年にピークに達したのだが、この時点でたばこは米国における中年期の死亡原因のうちの12%を占めていた。それから40年後、米国では紙巻たばこの消費量がすでに下降していたにもかかわらず、中年期の約3分の1の死亡原因をたばこが占めるようになっていた。中国でも、こうした米国の経験がそっくり繰り返され、中年男性の死亡原因の約12%はたばこによるものと予測されている。また、研究者の間では、米国と同様、中国でもこの割合が今後数十年間に約3分の1まで上昇するようになると予想されている。これに対し、中国の若い女性たちの喫煙率は、ここ20年間著しい上昇がなく、喫煙女性の大半はさらに年齢が高い。そのため、現在の喫煙パターンでいけば、たばこを原因とする中国人女性の死亡割合は、現在の全死亡に対する約2%から1%未満へと減少すると考えられる。

表2.1 たばこによる死亡者数(現在および将来の予測)
(単位:百万人/年)
2000年のたばこによる死亡者数 2030年のたばこによる死亡者予測数
先進国 2 3
発展途上国 2 7
出典:World Health Organization. 1999. Making a Difference. World Health Report. 1999. Geneva, Switzerland.

長年にわたり喫煙を続けてきた高所得諸国でも、たばこ関連疾患の実態が明らかになるまでには少なくとも40年かかっている。研究者は喫煙者と非喫煙者の健康状態を比較した前向き研究では、喫煙者における超過リスクを計算している。20年間の追跡調査の後、1970年代初めには、研究者は喫煙者の4人に1人がたばこにより死亡すると信じていたが、現在では、さらに多くのデータを駆使してその割合は2人に1人と考えている。

喫煙による死亡例

高所得諸国には、100万人超の米国の成人を追跡調査した米国がん協会の第2次がん予防研究(Second Cancer Prevention Study)をはじめ、長期的な前向き研究によって、喫煙がどのようにして人を死にいたらしめるのかという点について、信頼できる証拠が提示されている。米国の喫煙者が中年期に肺がんで死亡する可能性は、非喫煙者に比べ20倍高い。また、心臓発作や脳卒中、その他の動静脈疾患などの血管疾患で中年期に死亡する確率も3倍高くなっている。高所得諸国では虚血性心疾患が多く、喫煙者の超過リスクが加わるときわめて多数の死亡者が出ており、心疾患が最も一般的な喫煙関連疾患となっている。また、喫煙は慢性気管支炎と肺気腫の主な原因にもなっており、さらに、さまざなま臓器(膀胱、腎臓、喉頭、口腔、膵臓、および胃)のがんとも関連している。
ある人の肺がんの発症リスクは、1日に吸う紙巻たばこの本数よりも、喫煙者だった期間の長さに大きく左右される。つまり、喫煙期間が3倍長くなると肺がん発症リスクは100倍になるのに対し、1日当たりの紙巻たばこの喫煙本数が3倍増えても肺がん発症リスクは3倍にしかならない。このため、十代で始めた喫煙習慣をその後も続ける人が、最も高いリスクを背負うことになる。
紙巻たばこ製造者が、特定のブランドを「低タール」や「低ニコチン」製品として販売するようになって何年か経つが、こうした変更は紙巻たばこの安全性を高めるものだと多くの喫煙者に思わせる。しかし、低タールや低ニコチンのブランドの利用者が若死するリスクと通常の紙巻たばこの利用者のそれとの差は、非喫煙者と喫煙者との差に比べはるかに小さい。

時代と場所によって異なる流行のパターン

ほとんどの長期的研究は、高所得諸国に限られてきたため、それ以外の地域におけるたばこの健康影響に関するデータは乏しい。しかし、最近、中国やインドで大規模な研究や新しい研究が行われた結果、喫煙を継続した場合のリスクは、米国や英国など高所得諸国とほぼ同程度であるが、喫煙関連疾患のパターンは中国とインドとではかなり異なることが分かった。中国のデータは、たばこを原因とする死亡者総数のうち虚血性心疾患による割合が欧米に比べずっと小さく、呼吸疾患やがんがほとんどであることを示唆している。際立っているのは、結核が非常に少ない点だ。他の集団では、また別の違いが見られ、たとえば、もともと心血管疾患の有病率が高い南アジアでは、その影響がデータに表れてくるかもしれない。こうした研究結果は、すべての地域のたばこ関連疾患を把握することがいかに大切かを強調している。ただ、喫煙関連疾患のパターンは地域によって異なるものの、継続的喫煙が原因で死亡する割合は、多くの地域で2人に1人程度となっているようだ。

貧困層の喫煙と健康問題

喫煙は貧困層や社会経済状態の低い層に多いため、喫煙による健康被害も同じ層で多く見られる。本報告書作成のために行った分析調査により、かねてより喫煙が普及しているカナダ、ポーランド、英国および米国の4カ国での、さまざま社会経済集団(所得、社会的階級または教育水準により判断)に属する男性の生存率に喫煙がどのような影響を与えたかが明らかになった。
1996年のポーランドを見ると、大学教育を受けた男性が中年期に死亡する確率は26%だった。それが、初等教育しか受けていない男性になると52%と2倍にもなった。各集団での喫煙による死亡の割合を分析したところ、研究者は、中年期で死亡する多くの初等教育集団における超過リスクの約3分の2がたばこによると推定している。すなわち、喫煙という要因を除外できれば、大卒集団と初等教育集団との間の生存率の差は大幅に狭まるはずであり、初等教育集団の中年男性の死亡率は28%まで、大卒の中年男性では20%まで低下するとみられている(図2.2)。他の国々にも同じような研究結果が出ており、社会経済状態が最も高い集団に属する成人男性に比べ、最下位集団に属する成人男性の死亡率の方が高いというもので、その差の50%以上はたばこが原因となっているということを示している。また、富裕層と貧困層との間における男性の生存率の差についても、たばこに影響される部分が大きいとされる(図2.3)。



図2.2 教育水準とたばこによる死亡のリスク
教育水準別にみた中年男性の死亡率(1996年、ポーランド)

注:数字は概数で示してある。
出典:Bobak, Martin, P.Jha. M. Jarvis, and S. Nguyen. Poverty and Tobacco. Background papers.

他人の喫煙によるリスク

喫煙者は自らの健康だけなく、周囲の人の健康にも影響を与える。妊娠期間中に喫煙した女性は、自然流産により胎児を失う危険性が高くなる。高所得国の喫煙女性から生まれた子供は、非喫煙者の子供に比べ、出生時の体重が低くなる確率がきわめて高く、さらに乳児期に死亡する確率も最高で35%ほど高い。また、呼吸疾患を引き起こすリスクも高い。最近の研究では、喫煙者から生まれた新生児の尿から、たばこの煙にしかない発がん物質が検出された。
貧しい女性から生まれた赤ん坊における健康上の不利の多くは、紙巻たばこの喫煙が原因となっている。米国の白人女性の場合、大卒女性が出産した子供と高卒以下の学歴の女性が出産した子供における出生時体重の差の63%は喫煙だけの影響によることが分かっている。



図2.3 喫煙と貧富間における健康状態の差の拡大
英国における喫煙と社会経済状態(SES)の異なるグループ間での中年男性の死亡リスクの差

注:英国では、社会経済状態をグループI(最高ランク)からグループV(最低ランク)の5つに分類している。上記の数値は、グループIとIIの中年男性の死亡率と、グループVの中年男性の死亡リスクとの差について、時間を追って検証したもの。
出典:Bobak, Martin. P. Jha. M. Jarvis, and S. Nguyen. Poverty and Tobacco. Background paper.

他人の吐き出すたばこの煙に慢性的にさらされている成人も、わずかではあるが確実に肺がんのリスクにさらされているし、心血管疾患のリスクも高い。一方、喫煙者の子供は、さまざまな健康問題や機能障害に悩まされている。
たばこの煙にさらされている非喫煙者には、喫煙者の子供や配偶者が含まれ、主に家庭内で煙に曝露している。また、かなり多くの非喫煙者が喫煙者と一緒に、または煙の多い環境の中で働いており、彼らが長期間にわたり曝露する煙は莫大な量になる。

禁煙の努力

喫煙開始年齢は、早ければ早いほど障害を起こす疾患にかかるリスクが高くなる。長期的なデータが揃っている高所得諸国には、若いうちに禁煙に成功した人に比べ、若いうちに喫煙を開始し常習的に喫煙していた人の方が、はるかに肺がんになりやすいという研究結果がある。英国では、35歳以前に禁煙した男性医師らは、喫煙経験のまったくない医師たちと同じように生き延びている。35歳から44歳で禁煙した人たちにも、さらにもっと年齢が進んでからでも禁煙すればその効果は顕著に現れる。
このように、喫煙関連疾患の流行は、もともとみられた高所得諸国の男性だけに留まらず、高所得諸国の女性や低・中所得諸国の男性にまで広がっており、喫煙者は、所得や教育水準によって判断した社会的不利に伴って上昇している。新たに喫煙を始める人たちの大半は、ニコチン依存症にかかるリスクを甘くみているが、遅くとも成人後まもなくには喫煙を始めたことを後悔し、それでも禁煙できないと感じる人が多い。そして長期にわたり喫煙を続けた人の半数は最終的にたばこが原因で死亡し、そのうちの半数が中年期に死亡する。


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