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たばこ流行の抑制 たばこ対策と経済

第6章

たばこ対策のコストと結果

 たばこは世界中で健康に脅威を与えているにもかかわらず、多くの低・中所得諸国は、被害を減らすための本格的な対策にいまだ着手していない。その理由は、健康に対する脅威の大きさが過小評価されているためであったり、取りうる消費削減策はないとの誤解があるためであったりする。しかし、多くの政府が対策を渋る一番の理由は、たばこ対策が経済的に望ましくない影響を生むとの懸念があるからだ。本章では、経済と個人に及ぼすたばこ対策の影響について、一般にどのような懸念があるのかを論じ、その上での対策とその費用効果性について評価する。

たばこ対策は経済に害を与えるか

一般的な懸念について、最もよく聞かれる質問に答える形で、順を追って簡単に説明する。

たばこの需要が減ると、大規模な失業が起こるのではないか?

政府がたばこに対して無策でいるのは、なによりも失業者を生むのが恐いからだ。こうした懸念は主に、たばこ産業側の主張から生まれている。規制措置を取れば世界で何百万人もの失業者が出るというのだ。しかし、この主張をよく検討し、そのもとになったデータを見てみると、たばこ対策が雇用に及ぼすマイナスの影響がかなり誇張されていることが分かる。ほとんどの国の経済にとって、葉たばこの生産が占める割合は小さい。葉たばこ栽培に大きく依存する農業国は実際にはごくわずかであり、その他の国においても雇用の純損失はないと思われる。しかも、たばこの消費が世界的に落ち込めば、新たな雇用の創出につながる可能性さえある。つまり、それまでたばこに費やされてきたお金が他の商品やサービスに注がれることで、新たな雇用が生まれるというわけだ。ほんのひと握りのたばこ依存型経済の国々ですら、たばこの需要が徐々に落ち込んでも、長い年月がたてば、雇用を保証できるだけの市場を持つことができるだろう。
たばこ産業の推計によれば、葉たばこ栽培の雇用者は世界中で3300万人。この数字には、季節労働者やパートタイム労働者、栽培農家の家族のほか、たばこに加えて他の作物も栽培する農家までが含まれている。このうち1500万人程度が中国、350万人がインドとなっており、ジンバブエでは10万人程度である。高所得諸国の葉たばこ栽培者は、相対的には少ないものの、まとまった数になっている。たとえば、米国には12万カ所、EUには13万5000カ所の葉たばこ栽培農場がある。EUの農場の大半は、ギリシア、イタリア、スペインおよびフランスの零細農場だ。たばこ産業の製造分野は、高度な機械化のため、小さな雇用源にしかなっていない。たばこ製造に携わる労働者の数は、製造業の雇用者数全体の1%を大きく下回る国がほとんどである。重要なのは、このパターンに当てはまらない国もいくつかあることだ。インドネシアではたばこの生産高が国内全体の工業生産高の8%を占め、トルコ、バングラデシュ、エジプト、フィリピンおよびタイでは2.5%から5%を占めている。総じて言えば、ほとんどの国においてたばこ製造の経済に占める割合は小さいのである。
たばこ対策が大規模な失業を引き起こすという主張はその大半が、たばこ産業の出資で実施された研究結果に基づいている。こうした研究では、各セクターにおけるたばこ関連業務の雇用者数や、当該業務に伴う所得、たばこの販売による税収に加え、国によっては、たばこが貿易均衡に果たす役割まで推計する。さらに、たばこの栽培・製造による収入が他の経済活動を喚起する相乗効果も推計している。しかし、こうした研究方法については、批判の声が上がっている。第一に、これらの研究は、雇用と経済に対するたばこ寄与の程度を総体的に評価しているにすぎない。つまり、たばこへの出費をなくせば代わりに他のものにお金が使われ、たばこ関連雇用の損失分を補うだけの新たな雇用が生まれるという事実について、ほとんど考慮がなされていない。第二に、たばこの需要削減策の効果を過大評価する傾向にある。なぜなら、喫煙の動向や紙巻たばこ生産の機械化の流れなどの変数の推計値が変わらないと仮定されることが多いからだ。
一方、各国の経済へのたばこの影響についてたばこ会社とは関係なく独自に研究したものでは、異なる結論が得られている。これらの研究では、たばこが経済に果たす経済的寄与を総体的に検討するのではなく、むしろその正味の寄与について評価をしている。正味の寄与とは、たばこの支出に回らなかったお金によって代替雇用が生じる埋め合わせ効果を考慮した上で、たばこ関連活動全体が経済に及ぼす恩恵のことをいう。この研究では、たばこ抑制政策が雇用全体に与えるマイナス影響は、ごく少数のたばこ生産国を除き、ほとんどまたはまったくないと結論づけている。
英国のある研究では、喫煙を止めた人たちが贅沢品にお金を使い、課税以外の需要削減策によってもたらされた税収の落ち込み分が、他の製品やサービスへの課税で相殺されるとすると、1990年に10万件を超すフルタイム雇用の増加があるとされた。米国のある研究は、米国内のたばこ消費量がゼロになったとすると、1993年から2000年の間に2万件の雇用拡大が起こるといっている。米国の葉たばこ栽培地域では雇用の純損失があるだろうが、お金がたばこの購入に回らず、他の経済分野に注がれれば、全国的には雇用が拡大するというのだ。当然ながら、異なる業種への転職は困難で、短期的には社会的・政治的な問題が生じるかもしれない。しかし、こうした変化の多くは乗り越えられるものだし、これだけが例外というわけでもないだろう。
これらの研究結果は高所得諸国だけに該当するものではない。低所得国のなかにも、たばこ対策によって驚くべき恩恵が受けられる国がある。たとえば、本報告書の背景研究によれば、紙巻たばこをほぼ全面的に輸入するバングラデシュでは、国内のたばこ消費がゼロになれば著しい恩恵が得られるはずだ。バングラデシュ国民がたばこ以外の製品やサービスにお金を使うことになり、同国の経済の正規セクターで正味18%もの雇用拡大が可能になるだろう。
たばこ消費量が世界的に低下した場合の経済的影響は、各国経済のタイプによって異なってくる。ここでは各国を3つのカテゴリーに分類する。第1カテゴリーには、ブラジル、ケニヤ、ジンバブエなど、葉たばこの生産量が国内消費量を上回る国、すなわち「正味輸出国」が含まれる。第2カテゴリーには、生産量と消費量がほぼ同等の国、いわゆる「均衡国」が含まれる。第3カテゴリーには、消費量が生産量を上回る国、すなわち「正味輸入国」が含まれる。該当する国の数が一番多いのはこの第3カテゴリーで、インドネシア、ネパール、ベトナムなどが含まれる。
最大グループの「正味輸入国」では、たばこ対策による影響の大半を消費者が支え、失われる分の雇用を上回るだけの雇用創出があるだろう(表6.1)。しかし、たばこに著しく依存した一握りの農業国家では、全国的に雇用の純損失が起こりうる。たばこ産出国で最大の悪影響を受けるのは、マラウイやジンバブエなど、生産したたばこの大半を輸出している国になるだろう。あるモデルによれば、ジンバブエで一切の葉たばこ栽培を明日にも停止すると12%の雇用純損失が起こるという。ただし、このように極端なケースは希であることを強調しておく。

表6.1 たばこの消費を削減またはゼロにした場合の雇用への影響に関する研究
国の種類、国名、年度 仮定
正味輸出国
カナダ(1992) 0.1% 「平均的」支出パターンに従い、国内のたばこ消費総支出をゼロにする
米国(1993)
0%
「平均的」支出パターンに従い、国内のたばこ消費総支出をゼロにする
英国(1990)
+0.5%
「最近の」支出パターンに従った出費により、たばこ消費支出を40%削減する
ジンバブエ(1980)
-12.4%
「平均的」投入産出パターンに従って再配分し、たばこの国内の消費と生産をゼロにする
均衡国
南アフリカ(1995)
+0.4%
「縮小ぎみの最近の」支出パターンに従い、国内のたばこ消費総支出をゼロにする
スコットランド(1989)
+0.3%
「平均的」支出パターンに従い、国内のたばこ消費総支出をゼロにする
正味輸入国
米国・ミシガン州(1992)
+0.1%
「平均的」支出パターンに従い、国内のたばこ消費総支出をゼロにする
バングラデシュ(1994)
+18.7%
「平均的」支出パターンに従い、国内のたばこ消費総支出をゼロにする
ある年における雇用の純変動が経済に占める割合

出典:Buck, David, and others, 1995; Irvine, I. J. and W. A. Sims, 1997; McNicoll, I.H. and S. Boyle, 1992; van der Merwe, Rowena, and others, background paper; Warner, K.E., and G.A. Fulton, 1994; Warner, K.E., and others, 1996

家庭や小さな田舎社会のレベルでは、こうした調整が行われると所得の損失や混乱が生じ、おそらくは他業種への労働移動が起こるだろう。こうした移行のプロセスを容易にするための支援を重要視する政府も多い(囲み欄6.1参照)。

囲み欄6.1 最貧困農家に対する支援
たばこの生産が今後急激に減る見込みはほとんどない。前章で述べたように、たばこ生産を削減しようとする供給サイドの対策は、実行不可能なものであったり、ほとんどの国で政治的に受け入れられない可能性がきわめて高いものであったりする。ただ、たばこの需要が縮小するとしても、そのペースは緩慢なため、需要縮小の影響を直接受ける人たちはゆっくりと時間をかけてその調整を行うことができる。
 政府側が正確に評価しなければならないことは、たばこの需要が徐々に落ち込んでいった時に葉たばこ栽培農家の社会にどのように影響が出るのかという点である。高所得諸国における研究からは、葉たばこ栽培地域の経済は徐々に多様化していったことがうかがえる。高所得諸国では、数十年にわたり葉たばこ栽培農家が経済的調整を続けており、現在、葉たばこ栽培農家社会の多くは、昔よりずっと多様化した形で生計をたてている。多角経営を進めることに誰もが関心を持っているのだ。たとえば、米国の葉たばこ栽培農家に関する最近の研究によると、国内の他の葉たばこ栽培農家が代替的農業活動に従事していることを少なくとも認識している、と答えた回答者は半数に上った。年配者の農家に比べ、若くて教育程度の高い農家ほど多角経営化に関心を持ち、実現可能なものととらえるようだ。また、将来の変化を認識してはいるがそのペースは緩慢だと考えている農家も、回答者の過半数には及ばないが相当いた。ただ、個人的には今後も葉たばこ栽培に携わるつもりだと答えた農家は80%を超えたものの、自分の子供にはこの仕事を継がせたくないと答えた農家が3分の1に上ったのである。
 とはいえ、政府が最貧困農家に移行コストを支援しようとするのには、いくつかの理由がある。まず、農場は地方における大きな雇用の供給源であり、多くの団体から社会的重要性を認められていることが多い。さらに農家は、たばこ対策に反対する大きな政治的勢力となる可能性がある。政府による適切な措置には、さまざまな異なる取り組みが含まれるだろう。たとえば、健全な農業・貿易方針の奨励や、幅広い地方開発プログラムの提供、作物多様化の援助、地方研修、その他の保障制度などがある。こうしたサポートにたばこの税収をあてることを提案した政府もある。また、政府が地方での取り組みの成功例から学ぶこともあるかもしれない。たとえば、米国では、従来たばこに依存してきた地方社会が公衆衛生団体と連携し、たばこの消費削減と地方社会の持続可能な発展をめざす政策について、基本原則に合意したケースもある。

たばこ税の引き上げは歳入の減少を招くか

政府当局はたばこ税の引き上げによく反対するが、その根底には、増税による需要の縮小で歳入を大幅に失うという考え方がある。かなり長期的な見通しは不透明だが、実際のところ、短・中期的にはこれと反対の現象が起こっている。価格引き上げで消費は明らかに落ち込むものの、紙巻たばこの需要は比較的変動が少ないので、短・中期的には税収が拡大すると考えられる。つまり、紙巻たばこの消費は落ち込むものの、その落ち込み幅を上回る値上げ効果があるのだ。たとえば、英国では、過去30年にたばこ税の引き上げを繰り返し行ってきた。こうした増税の実施や、喫煙がもたらす健康問題についての認識が確実に広がったことなどを受けて、この30年間で消費は激減した。紙巻たばこの年間売上本数がこの間に1380億本から800億本に減少したのである。それでも税収は伸びている。英国では1%の増税につき、0.6%から0.9%の歳入増となっている(図6.1)。本研究のために作成したモデルによると、全世界で10%というたばこ物品税の控えめな引き上げを行った場合、国によって効果に差は出るものの、全体として7%程度の税収増加につながると結論づけられる。
広告・販売促進活動の禁止や市民への情報提供、警告表示など価格以外の手法では、歳入の減少が予測される。ニコチン代替療法をはじめとする禁煙手段の一般市販化をめざした対策では、消費が縮小するだけでなく、歳入まで減少することになる。しかし、こうした歳入への影響は徐々に表れるもので、どんな場合でも、増税を含めた包括的な対策を取ることが正味歳入の増加につながる可能性が高い。
たばこ対策の究極目的が人体の健康にあるのなら、たばこの税収が最終的に落ち込む程度まで消費を削減するのが理想だと当局は考えるかもしれない。当然ながら、この点を認識することは重要である。こうした形で歳入を失うことについては、たばこ対策が成功した証だと受け止めたり、喫煙の減少で健康を買ったという社会の意向とみなすこともできるだろう。しかし、これは単なる理論上の可能性にすぎず、実際に予想されているシナリオとは異なる。現在のパターンが続けば、今後30年の間に低所得諸国で喫煙者の数が増大すると考えられている。また、これも同じく重要な点だが、たばこの税収に代わる代替的な所得税や消費税を政府の裁量で導入することも可能だ。

たばこ税の引き上げで密輸が大幅に増えるのでは

増税すればたばこの密輸が増え、それに関連して犯罪も増えると言われてきた。この場合、紙巻たばこの消費量は依然として高いままでありながら、税収が落ち込むとされている。しかし、多くの高所得諸国のこれまでの動きを計量経済学その他の方法で分析したところ、密輸の割合が高まるとしても、増税すれば増収になり、紙巻たばこの消費も縮小することが分かった。つまり、確かに密輸は深刻な問題だし、国家間でたばこ税率に大きな開きのあることが密輸の誘因にもなってはいるのだが、だからといって減税の実施や増税の見送りが適切な密輸対策にはなっていない。適切な対策はむしろ、犯罪の取り締まりを強化することなのである。また、たばこ税率で近隣諸国間の足並みが揃えば、論理的には、密輸の誘因を抑えることになる。



図6.1 たばこ税の引き上げで税収も増加
実質価格とたばこ税収(英国、1971-95年)

出典:Townsend, Joy. ''The Role of Taxation Policy in Tobacco Control.'' In Abedian, I., and others, eds. The Economics of Tobacco Control, Cape Town, South Africa: Applied Fiscal Research Centre. University of Cape Town.

これは、カナダのこれまでの動きからも明らかだ。カナダでは、80年代初めと90年代に急激なたばこ増税を行い、そのため実質価格が大幅に上昇した。79年から91年の間に十代の若者の喫煙率が3分の2近くに下がり、成人の喫煙率も低下し、さらにたばこ税による税収もかなり増えた。しかし、密輸の激増に対する懸念から、政府はたばこ税の大幅減税を行ってしまう。その結果、十代の若者の喫煙率が上昇し、国民全体の喫煙率も再び右上がりになった。その一方で、連邦政府のたばこ税収は、予測の2倍を上回る減少となった。
南アフリカの経験にも学ぶべき点が多い。南アフリカは90年代に、たばこ物品税で450%を超す大幅な増税を行った。販売価格に対する課税率は38%から50%に引き上げられた。それまでゼロだった密輸率も当然ながら増えて、市場の6%ほどとなった。これは世界の平均値に相当する。売上が20%超の減少となって、密輸が増えたとは言え、正味消費量は大幅に減少したと思われる。また、税収総額の伸びは実質単位で2倍を上回った。
ある計量経済学的研究では、ヨーロッパ諸国間におけるたばこ密輸の誘因に対して税率の違いがどのような影響を与えうるのかを調べた。それによれば、報告されているヨーロッパの比率よりも密輸率が数倍高くなったとしても、税率を引き上げることで全体の歳入は多くなるという。また、この研究では、紙巻たばこの値上げが密輸の誘因となっている場合、その価格がすでに高めの国ほど問題が大きくなる可能性が高いと結論づけている。紙巻たばこの価格が比較的低めの国の場合には、相対的に見て、値上げしても密輸が拡大することにはならない。

最も重い金銭負担を強いられるのは貧しい消費者か

税制は公平であるべきだというコンセンサスが多くの社会にはある。最大の支払能力を持つ人が最も重い課税を受けるべきだというのである。たとえば、所得に応じて限界税率が上がる累進所得税はこのコンセンサスを反映したものだ。しかし、たばこ税は逆進税であり、消費財に対する他の消費税と同様、低所得者が不釣り合いに重い金銭的負担を課せられることになる。富裕家庭より貧困家庭の喫煙率が高いことから逆進性はさらに拡大され、貧困喫煙者におけるたばこ税負担の対所得比は、裕福な喫煙者に比べ高くなってくる。
増税に伴い、貧困消費者における紙巻たばこ購入の対所得比がますます上昇し、貧困家庭が多大な困苦を味わうようになるとの懸念がある。需要が減っても、貧困消費者のたばこ消費量が裕福な消費者よりも多いままだと、貧困消費者の方が多額の税金を支払うことになるからである。とはいえ、多くの研究結果では、価格の変更に対する反応度は高所得者よりも低所得者の方が高い。絶対的な支払額は貧困者の方がまだ多くても、貧困者の消費量が急激に低下するため、相対的な税負担の下げ幅は裕福な消費者よりも大きくなる。たばこ税自体は逆進的でも、たばこ税の増税は累進的であるという考えが、英国と米国の2つの研究で支持されている。この研究結果の確認には、さらに低・中所得諸国での研究が必要だ。せっかく覚えたたばこの楽しみを諦めたり、離脱というコストを払ったりすることは、どの喫煙者も当然経験しなければならないが、こうした損失を比較的多く背負うのは貧困消費者の方だ。
他の単一物品税と同様、たばこ税も、税と支出の制度全体の釣り合いがとれた累進的な目標のなかで運営していく必要がある。現在ほとんどの国では、多くの異なる税を取り混ぜた税制をとっている。こうした税制では、個別には逆進的な部分もありうるものの、全体的に累進的で釣り合いのとれた制度とすることが目標になっている。たばこ税の逆進性を補うため、新たな累進税や他のプログラムを導入することも可能だ。たとえば、適切な対象者に教育や保健プログラムなどの社会サービスを提供することは、たばこ税の逆進性を補うことになるだろう。
公共事業の財源は原則として一般歳入から調達すべきだが、たばこ課税独自の増収力も見逃せない。中国では、10%のたばこ増税で5%の消費削減と5%の増収になるとの推計がある。これだけの増収があれば、国内の最貧困層1億人の3分の1に当たる市民に対して、基本的な保健サービスが提供できる。

たばこ対策は個人にコストを強いるか

たばこ対策により紙巻たばこ消費が縮小すると、喫煙者の満足感、すなわち恩恵が抑えられるようになる。他の消費財の消費を抑制した場合に、暮らしの快適さが減ぜられるのと同じことだ。常用喫煙者は喫煙の楽しみを諦めたり、禁煙に伴うコストを払わなければならなくなる。あるいはその両方という場合もある。こうして失われた利用者の利益は、たばこ対策から得られる利益によって埋め合わせをする必要がある。
とはいえ、前述のように、たばこには依存性や情報面の偏りといった問題があるという点で、恩恵をもたらすような典型的な消費財とは一線を画している。喫煙していることを後悔し、禁煙したいとの意思表示をしている依存症に陥った喫煙者にとって、喫煙の恩恵には、離脱症状の回避も含まれるだろう。たばこ対策により個々の喫煙者が消費量を減らせば、禁煙に伴う大きなコストに直面することになる。
常用喫煙者の大半が禁煙したい気持ちを持っているのに、独力で禁煙に成功する人がほとんどいないことを考えると、禁煙に伴うコストの方が、健康被害など、継続的喫煙に伴うコストよりも大きいように思われる。たばこ税を引き上げれば、継続的喫煙に伴うコストの方が離脱というコストよりも大きくなり、一部の喫煙者らに禁煙を誘発することが可能になる。それでも、離脱というコストは依然として残っている。喫煙による健康被害について情報提供を行えば、継続的喫煙に伴うと認識されるコストが増えることになり、禁煙の恩恵を喫煙者に知らしめることにもなる。ニコチン代替療法(NRT)などの禁煙手段への道がもっと開かれれば、禁煙に伴うコストはもっと減らすこができるだろう。
たばこ対策は高所得者よりも貧しい人々に大きなコストを課す、との議論もありうる。仮にたばこに関してはそうであるとしても、公衆衛生の分野では決して特別なことではない。子供の予防接種や家族計画など保健対策を受ける際には、貧困家庭の方がより多くのコストを払うことが多い。たとえば、診療所まで歩く道程が富裕家庭より貧困家庭の方が長かったり、保健対策を受ける過程で貧困家庭が所得を失うこともありうる。ただ、厚生行政側では、普通、予防接種対策などによって得られる健康面での恩恵については、そうしたコストを払うだけの価値があると堂々と主張している。ただし、これはコストの方が大きすぎて貧しい人がサービスの利用を思いとどまるようなことはないという仮定があって初めて成り立つものだ。
喫煙者の失われた利益を考慮する場合には、常用喫煙者とそれ以外の人とを区別することが大切である。喫煙を始めたばかりか、ただの潜在的喫煙者にすぎない子供や青年の場合には、まだ依存症になっていない可能性があるので、禁煙に伴うコストは少なく、離脱症状によるコストも最低限となるはずだ。これ以外のコストとしては、たとえば、仲間からこれまでのように受け入れてもらえなくなる、両親に反抗することによる満足感が得られなくなる、喫煙から得られる他の楽しみが減るなどが挙げられる。
また、公共の場や民間企業で行われる喫煙制限も喫煙者にコストを課す。喫煙のため室外に出たり、喫煙の機会が減ったりするからである。こうした対策は、喫煙に伴うコストを非喫煙者から喫煙者にうまく移行させるものだ。また、このようなコストが増えれば、自分の喫煙パターンを変える喫煙者も出てくるだろう。一方、たばこ抑制政策は、非喫煙者に利益の向上をもたらす。対策を包括的に実施すれば、利益の損失は明らかに最低限に抑えられるだろう。

たばこ対策は採算がとれるのか

ここで取り扱うのは、他の保健対策に比べた場合のたばこ対策の費用効果性である。対策の導入を検討している政府にとっては、その実施方法を決定するにあたり重要な要因となりうる問題となる。
さまざまな保健対策の費用効果性を評価するには、対策の実施に要する公費に対して、各自が健康に生存できる年数がどれだけ伸びるかを予測する。世界銀行の「世界開発報告93 - 人々の健康に対する投資(1993 World Development Report, Investing in Health)」によれば、たばこ抑制政策は費用効果性が高く、保健医療施策に必ず組み込む価値があるという。これまでの研究によると、政策ベースのプログラムにおいては、健康に生きられる年数(障害調整生存年=DALY)を1年延長するのに要する、割り引き調整済みの費用が約20ドルから80ドルとされている1)。
本報告書の研究では、第4章で論じたたばこ需要削減策についてそれぞれの費用効果性を推計した。この対策とは、増税対策と、総合的な価格以外の手法(広告・販売促進活動の禁止、保健情報の幅広い提供、公共の場での喫煙制限など)、そしてNRTのことをいう。この研究結果は、特に低・中所得諸国にとって、ニーズに見合った対策のいずれに力を入れるかを評価する際に役立つであろう。
この推計結果は、囲み欄4.1で述べたモデルに基づいて算出したものである。このモデルの仮定と入力については、本報告書の背景報告書に詳しい記載がある。研究の対象となった対策の中には、増税や広告・販売促進活動の禁止など、署名1つで済み手間をとらせない、コストがゼロまたはごくわずかなものもある。このモデルは、NRTの薬剤費など、実施・管理コストをかなり多く割り当てた控えめな内容になっている。ただし、個人負担のコストは除外した。その結果(表6.2)からは、費用効果性が飛び抜けて良いのは増税対策で、多数ある他の保健対策に勝るとも劣らないことがわかる。たばこ増税の実施と監視にかかる管理費をどう仮定するかにもよるが、税率を10%引き上げた場合の実施コストは低・中所得国で1DALY当たり5ドル未満となる可能性がある(しかも、1DALY当たり17ドルを超す見込みは低い)。これは、子供の予防接種など公的資金で行われる多くの保健対策にも匹敵する費用効果性である。価格以外の手法も低・中所得国においては、費用効果性が高くなる可能性がある。推計時の仮定によっては、1DALY当たりたったの68ドル程度で総合対策を実施できることになる。統合的小児疾患対策のコストは低所得国で1DALYにつき30ドルから50ドル、中所得国で50ドルから100ドルとされており、従来の公衆衛生対策に十分匹敵するレベルとなっている。

表6.2 たばこ対策の費用効果性
地域別に見た各種たばこ対策の価値(米ドル/DALY)
地域 10%の値上げ 有効率5%の価格以外の手法 NRT(一般市販薬)の25%負担
東アジア、太平洋 3-13 53-212 338-355
東ヨーロッパ、中央アジア 4-15 64-257 227-247
ラテン・米国、カリブ海地域 10-42 173-690 241-295
中東、北アフリカ 7-28 120-482 223-260
南アジア 3-10 32-127 289-298
サハラ以南のアフリカ 2-8 34-136 195-206
低・中所得国 4-17 68-272 276-297
高所得国 161-645 1347-5388 746-1160
注:算出にあたり割り引き率を3%とし、効果の評価期間を30年間とした。価格以外の手法について、対策実施コストの分析期間を30年間とした。費用効果比の数値に幅があるのは、対策実施コストを年間GNPの年間0.005%から0.02%の範囲で変動させて算出したためである。
出典:Ranson, Kent, P. Jha, F. Chaloupka, and A. Yurekli. Effectiveness and Cost-effectiveness of Price Increases and Other Tobacco Control Policy Interventions. 背景報告書

この研究では、NRT利用の拡大に伴って予測される費用効果性についても検討した。この場合、NRT費用には公的資金を使うものと仮定した。この結果から分かるのは、こうした新しい治療法を直接一般国民に提供することを検討する前の部分的な費用効果性分析の際には、政府が適切な注意を払う必要があるということである。つまり、NRTを一般市販薬化するだけで費用効果性は高くなるだろうし、効果が上がり禁煙したい成人の数が増えるにつれてNRTの費用効果性も上がるので、これらの点に留意することが大切だ。
総合対策の効果や、各国の所得水準別にみた費用効果性の予測、そして個人のコスト負担を特定するには、さらなる研究が必要になってくる。
包括的なたばこ対策プログラムの実施コストについては、まだ初歩的な評価しか行われていない。高所得諸国のデータによれば、包括的プログラムはごくわずかな資金で実施できる。かなり包括的なプログラムを実施する高所得諸国では、そうしたプログラムに1人当たり年間5セントから2.5ドルを出費している。その程度なら、低・中所得諸国の財務力でもたばこ対策は実施できるだろう。保健対策における1人当たりの公的資金支出が極端に低い国でも可能である。世界銀行の「世界開発報告93-人々の健康に対する投資」の見積では、基本的な総合公衆衛生対策にたばこ対策を含めて実施するのに必要な支出は、低所得国で1人当たり4ドル、中所得国で7ドルとなっている。全体に占めるたばこ対策のコストは小さいものといえよう。


1. 障害調整生存年数(DALY)とは、若年死亡による損失生存年数(若年死亡とは、期待死亡年齢より前に死亡することと定義される。なお、この場合の期待死亡年齢は、平均寿命が世界最長である日本と同等の標準化モデル集団を仮定して求める)と、一定の重さの障害を一定期間抱えながら生存する年数、すなわち障害生存年数の和として疫学的に把握できる複合健康指標のひとつ。従って、1DALYは、健康に生きられたはずなのに失われた1年間という損失の指標である。

<訳注>DALYは、YLL(損失生存年数)とYLD(障害共存年数)の和として計算される。本文や表6.2で、「1DALY当たり」という言葉があるが、これは「1DALY saved」の訳である。


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