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目次 第1章 第2章 第3章 第4章 第5章 第6章 第7章 付録 図表目次

たばこ流行の抑制 たばこ対策と経済

第7章

行動アジェンダ

 世界規模で、大きく拡大を続ける死因は、わずか2種類に限定される。HIV(ヒト免疫不全ウィルス:エイズウィルス)とたばこだ。HIVに関しては、ほとんどの国でなんらかの取り組みが始まっている一方で、世界的な喫煙習慣の広がりへの対応は、これまでのところ限られたものであり、しかも一貫性に欠けている。本章では、活動を始めるにあたり政府の決定に影響を及ぼす可能性がある要素をいくつか取り上げ、その効果的な行動アジェンダについて提案する。
政策を作成するにあたっては、すべての政府が経済だけに限らず、多くの要素について考慮するのが普通であり、たばこ抑制政策もその例外ではない。文化の違いにより程度の差はあるものの、ほとんどの社会は、子供の保護について関心を持っている。また、どんな社会でも、たばこによる病気や若年死亡がもたらす苦しみや感情的喪失感の軽減を望んでいる。経済学の研究は、こうした負担の評価について、まだ一致した意見を導き出していない。 公衆衛生の改善をめざす政策立案者にとって、たばこ対策は魅力的な選択肢である。これほど大規模な疾病負荷をそこそこにでも軽減できるとなれば、それによってもたらされる健康上の利益はきわめて大きいものになるだろう。健康上の利益が望ましいとする各社会の間でのコンセンサスは、WHO(世界保健機関)をはじめとした国際機関によるたばこ対策と活動に反映されている(囲み欄7.1と7.2、および付録Aを参照)。
たばこ対策を行う最大の根拠は、子供や青少年に喫煙を思いとどまらせることにあると考える社会は多いかもしれない。だが、第3章で明らかにした通り、対象を年少消費者に限定した対策は望み通りの効果を得られない傾向がある。一方で、課税を主体とする効果的な対策は成人にも影響を及ぼす。同様に、非喫煙者保護だけを目的とした対策では非喫煙者のほとんどはその恩恵をこうむることができず、この場合もやはり、課税が最も効果的な選択肢となる。実際の政策立案にあたって、多くの社会にとってこうした政策によってもたらされる広範な影響は受容できるものであり、さらに現実的な意味で望ましいとさえ考えられるだろう。いずれにせよ、子供に喫煙を思いとどまらせる効果しかないたばこ抑制政策は、今後何十年も、地球規模で起こっているたばこ関連死に何の影響も及ぼさないであろう。というのも来世紀前半の死亡者の大半は、現在の喫煙者であると予測されるからである(図7.1)。そのため、中期的な健康改善をめざす政府は、成人にも禁煙を勧めようとするだろう。



図7.1 現在の喫煙者が禁煙しない限り、今後50年間でたばこ関連死は劇的に増加する
介入戦略別の1950年から2050年までのたばこによる死亡者の累積数


注:Peto たちのチームでは、先進諸国における1950年から2000年の間にたばこによる死亡者数が6000万人に上ると見積もっている。1990年から2000年の間に発展途上国においてさらに1000万人多くなると思われる。1990年以前の発展途上国ではたばこによる死亡者が存在せず、世界中で1950年以前にはたばこによる死亡者がごくわずかだったと仮定した。2000年以降の死亡推定値はPetoの試算(私信[1998])に基づいている。
出典:Peto, Richard and others.1994, Morality from Smoking in Developed Countries 1950-2000, Oxford University Press; Peto, Richard, 私信。


変革に向けた政治的障壁の克服

政府がたばこ対策を実行すると決定した場合、効果を上げるためには、その決断が広く支持を集めるような状況が求められる。喫煙者はたばこ対策に強硬に反対するとみられるかもしれないが、現実はやや異なっている。たばこ対策プログラムが成功を収めている高所得諸国の研究によると、成人喫煙者の大半は、たとえば情報の普及など、少なくとも何らかの対策を支持していることが判明している。政府だけの力では成功は成し遂げられず、市民社会、民間セクター、および利益集団などの参加が必要である。成功する可能性が高いのは、変革を実行し維持する権力と実力者グループによる幅広い協力関係を通じて、プログラムが合意を得られ共有される場合だ。
複数の対策の組み合わせによる複合的な影響を計る試みは、これまでほとんど行われてこなかった。 第4章に示した通り、個々の介入により数百万人の命を救うことはできるが、さまざまな措置を組み合わせた場合、個別介入による場合の合計数よりもさらに多くの命を救うことができるかどうかは、まだ明らかにされていない。組み合わせて実施する場合、どの措置に特に力を入れるかは、おそらくそれぞれの国によって異なってくるだろう。たとえば、現在近隣諸国よりたばこ税率が低い国では、税の引き上げは紙巻たばこ消費量にとりわけ大きな影響を及ぼすはずである。同様に、比較的教育水準が高く裕福な国では、教育水準が低く貧しい国よりも価格への反応は小さく、逆に新しい情報への反応は大きくなるだろう。また、一党独裁制の歴史などの文化的要素も、公共の場所での喫煙禁止といった措置を実施する際に影響を及ぼす可能性がある。このような一般化は単純すぎるが、政策立案者にとって出発点としては役立つだろう。
たばこ対策を計画する際、政府は変革に対する政治的障害に直面する。それでも、各国の政策立案者にとって、需要と供給の両サイドで鍵となる利害関係者が誰であるかが分かれば、それが誰であれ、その実体を把握できるし、変革に対する彼らの反応を左右する要因についても評価することができる。たとえば、非喫煙者などの勝者は分散したまとまりのないグループである一方、葉たばこ栽培農家などの敗者は強力な政治的および感情的発言力を持っていることが把握できるだろう。経済のあり方や国家の政治的枠組みがどのようなものでれ、たばこへの依存から離脱へスムーズに転換を図るには、慎重な計画立案と政治的マッピングが不可欠になる。そうしたマッピングは、たとえばベトナムですでに実施されている。

研究の優先順位

高所得諸国ではすでに、増税をはじめ広告や販売促進活動の禁止など、需要削減のための措置が効果を上げており、このような方法を躊躇なく実行している国も多い。だが、同時に、政府が最大の成功を収めるために対策の組み合わせ調整を支援するような共同研究アジェンダが疫学と経済学の両分野において必要になるであろう。いくつかの重要な研究分野は以下の通りである。

国家と地域の両レベルでの喫煙の動機、影響、コストに関する研究

国家と地域の両レベルで「たばこによる死亡者を数え」、死亡を原因別に分類するための研究が必要である。そのための簡単で安上がりな方法は、死亡証明書に過去の喫煙状態についての質問を記載することである。これにより、たばこが原因と思われる死亡例と他の死亡例との間でたばこの吸いすぎを比較することができる。そのような研究には、たばこの流行状況やたばこ対策の効果をモニタリングする上での初期状態を政府に知らせるという実用的な価値があるが、実際にはそれ以上の利点もある。それは政策面の反応を引き出し、たばこ消費量に重要な影響を及ぼす可能性があるということである。
喫煙の影響に関する疫学的研究が、高所得諸国以外でも実施され始めた一方で、喫煙の動機や依存性、および喫煙開始に関連する行動要因の研究は、依然北米や西ヨーロッパに著しく偏っている。たばこ対策を実施する一方で、こうした課題も並行して研究すれば貧困層への健康情報の伝達を改善するための対策など、介入の対象をさらに絞り込むこともでき、最大限の効果を上げるだろう。
経済学者にとって、国家レベルの各対策における費用効果性の研究も優先順位が高い。さらに、低・中所得諸国における価格弾力性について分かれば、喫煙に伴って発生する社会的費用や医療費の概算と同様、貴重なデータとなる。
たばこ対策に関する研究は、喫煙の疾病負荷に比べ、思ったほどの資金提供を得ていない。現時点で入手可能な最新データは1990年代初頭のものであるが、たばこ対策の分野で研究開発への投資は、1990年において死亡例1件当たり50ドルであった(総計で1億4800万ドルから1億6400万ドル)。対照的に、HIVの研究開発は、1990年では死亡例1件当たり約3,000ドル(総計で9億1900万ドルから9億8500万ドル)もの資金提供を受けている。いずれの場合も、投資は主に高所得諸国に集中している。

勧告

本報告書は以下の2点を勧告する

  1.  政府がたばこ流行に歯止めをかけるための強硬な行動をとると決定した場合には、多面的な戦略をとるべきである。その目的は、子供に喫煙を思いとどまらせ、非喫煙者を保護し、すべての喫煙者に対してたばこの健康影響に関する情報を提供することにある。この戦略には各国の必要性に合わせた調整が必要だが、次の事項を含む。(1)包括的なたばこ抑制政策を行い消費量が減った国々が採用している税率を判断の基準として、税を引き上げる。こうした国々では、紙巻たばこの小売価格のうち3分の2から5分の4を税金が占めている。(2)たばこの健康影響に関する研究結果を公表し普及させる、紙巻たばこの箱にはっきりと目立つ警告表示を貼付する、広告と販売促進活動の包括的禁止を採用する、職場と公共の場所における喫煙を規制する。 そして(3)ニコチン代替療法および他の禁煙介入を広く受けられるようにする。
  2.  国連機関などの国際機関は、たばこ対策がそれ相当の注目を確実に集めることができるよう、現行のプログラムおよび方針を見直すべきである。こうした国際機関は、喫煙の動機、影響およびコスト、ならびに地方レベルにおける対策の費用効果性の研究に資金を提供すべきである。さらに、WHOが提唱する「たばこ対策のための枠組み条約」に伴う作業を含め、国境を越えたたばこ対策問題に取り組まねばならない。活動の主要な分野としては、密輸取り締まりについての国際的な合意促進、密輸の誘因を減らすための税率統一の検討、さらに世界的な情報伝達メディアを含む広告および販売促進活動の禁止があげられる。
喫煙が地球規模の健康に与える脅威はかつてないほど大きいが、費用効果性の高い政策を用いて喫煙関連死亡率を減少できる可能性も同じように大きい。本報告書は何を達成し得るかのめやすを示している。ある程度の行動でも、21世紀に向けて保健上の大きな改善を必ず実現できるのである。

囲み欄7.1 WHOとたばこ対策のための枠組み条約
1996年5月の世界保健総会(World Health Assembly)において、WHO加盟国はWHO事務局長に対してたばこ対策の枠組みとなる条約の作成に着手する決議案を採択した。グロ・ハルレム・ブルントラント(Gro Harlem Brundtland)事務局長が率いるWHOは、たばこ対策に関する新たな動きを重視、新プロジェクト「Tobacco Free Initiative(TFI:たばこのない世界構想)」をうちだした。TFIの第一歩が、WHO「たばこ対策のための枠組み条約(FCTC)」である。
 WHO FCTCは、全世界、特に発展途上国における喫煙習慣の拡大を制限することを目的とした国際的な法的手段となるものである。批准されれば、WHOとしてだけでなく、世界でも初めての協定になる。また、WHOの加盟191カ国が、協定立案を話し合うためにWHOで定められた権限を行使するのは初めてのことになる。さらに、これは公衆衛生の問題だけに的を絞った、初めての多国間協定になる。WHO FCTCの作成にあたっては、たばこ使用のもつ依存性や致命的な特質に関する知識に加えて、国際的な法的手段を通してたばこ規制の強化を図りたいとする多くの国々の意向が、その追い風となるであろう。
 たばこ対策に関する多国間の合意と行動を推進するにあたっては、枠組み条約の議定書による国際的な規制戦略が用いられる。この戦略は、各問題の交渉を個別の合意に分けることによって、様々な状況における世界的なコンセンサスを促すものである。
■加盟国はまず、概括的に記された目標達成のための協力要請と多国間の法的枠組みの基盤を定めた枠組み条約を採択する。
■枠組み条約で求められている概括的目標を達成するための特定の措置を盛り込んだ個別の議定書に合意する。
 枠組み条約の議定書によるアプローチは、これまでにもたとえば「オゾン層保護のためのウィーン条約(Vienna Convention for the Protection of the Ozone Layer)」や「モントリオール議定書(the Montreal Protocol)」のように、他の世界的な問題に取り組むにあたっても用いられてきた。
WHO FCTCの立案と実行は、国内における効果的な国内たばこ対策措置の技術的・財政的資源を動員するだけでなく、国内外での認識を結集させることになり、たばこ使用の抑制に役立つであろう。同条約によって、たばこ製品の世界的なマーケティング・販売促進活動や密輸などの分野で、国境を越えてたばこ対策に取り組むことにより世界的な協力関係も深まるだろう。個別の取り決めの交渉は、それぞれ加盟各国の政治的意志によって異なるが、WHO FCTC の推進作業計画(Accelerated Work Plan)によると、2003年5月までには同条約が採択される予定だ。

囲み欄7.2  たばこに関する世界銀行の方針
1991年以来、世界銀行はたばこが健康に有害であるとの認識の下に、たばこに関する方針を掲げてきた。その方針とは5つの主要な部分から構成されている。第1に、世界銀行の健康分野における活動は、たばこ製品の使用を止めるよう説得するものであり、具体的な活動として本方針の説明や融資などがある。第2に、葉たばこの生産、加工、販売に対しては、直接的な融資や投資、そのの保証を行わない。ただし、収入源および外貨収入源として葉たばこに大きく依存している農業国においては、国家の開発に必要となる条件に最大限に応えることで、対処するつもりである。
 世界銀行はこのような国々がたばこから別の作物栽培へ転作するのを支援しようとしている。第3に、世界銀行は実行可能な範囲において、葉たばこ生産活動に間接的な融資を行わない。第4に、葉たばこおよび葉たばこ関連加工機械および設備は、世界銀行からの融資を受けた輸入品目に含めることはできない。第5に、葉たばこおよび葉たばこ関連の輸入品は、貿易の自由化と関税の軽減に関する合意の適用から除外される。世界銀行の方針は、本報告書で述べた補助金打ち切りの主張と一致するものである。だが、たばこ供給側への措置を強化してきたにもかかわらず、1991年から今日まで、目に見える形でたばこ消費量は縮小していない。その間、14カ国が関わり、総費用1億ドル超をかけた世界銀行のたばこ対策は、主としてヘルス・プロモーションと情報の普及をめざしてきた。価格づけと規制に焦点をあてることは、世界銀行の1997年セクター戦略文書によっておおむね支持されている。本報告書は、需要削減の有効な措置として価格に焦点を当てることの重要性を認めるものである。


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