認知症理解する
妄想と幻覚
ここでは、認知症老人の行動異常と関係の深い妄想として、物盗られ妄想、帰宅妄
想を取り上げ、幻覚がある場合を含め対策について考えます。
妄想や幻覚に対する一般的対応法として重要なのは以下の点です。周りからみ
ると奇妙で信じることのできない妄想や幻覚であっても、患者さん自身はありありと
した現実として感じている点をふまえておくことです。したがって、妄想や幻覚につい
て否定的態度をとることは禁物です。そうかといって、患者さんの妄想や幻覚に巻き
込まれてもいけないので、事実関係はさておき患者さんが困っていることに同情を
よせるような態度をはっきりと表明することが大事です。妄想や幻覚のある患者さん
と話す時に、こうした点に注意を払うあまり介護者が緊張してしまうのはよくありませ
ん。妄想や幻覚の背景には、気分の不安定さや不安などが存在する場合が多いの
で、まずは安心感を与える態度をとることを心がけるべきです。
1)物盗られ妄想
物盗られ妄想は、認知症の初期に特有の妄想です。これは、記憶障害があるにも
かかわらず、その自覚がない時に生じます。時に記憶障害が周囲に気づかれる以
前から、この妄想が目立つ場合も少なくありません。盗られたと訴えるものは、通常
本人が大切にしているもので財布、通帳、思い出の品などですが、あまり重要と思
われない物が盗られたと執拗に訴えることもあります。家庭で生活している場合に
犯人とされるのは身近な他人である嫁が最も多いようです。物盗られ妄想がある場
合に周囲が混乱するのは、認知症の進行が軽度で人格の変化が少ない患者が訴え
るので、妄想なのか現実なのかの判断が困難な場合があるためです。
物盗られ妄想が生じた場合は、たとえ自分が疑われた場合でも妄想を否定せず
に、物を盗られて困っている患者さんに同情を寄せることが大事です。よくいわれる
ように、なくなったものを一緒に探してあげることも大切です。この時注意しなければ
いけないのは、なくなったものを見つけてあげることでなく、患者が困っていることに
共感し一緒に探してあげることなのです。したがって、盗られたと訴えている物が見
つかった場合に、「やっぱり、あったでしょう」というように患者の物忘れのために起
こったことを分からせようとすると、「盗人がまたもとに戻しただけだ」というように反
発し、かえって妄想を強化してしまうことがあります。
物盗られ妄想に基づいて不穏になったり、種々の行動化をする場合は、抗精神
病薬の投与が必要になる場合もあります。この時の目標は妄想的な考えを訂正す
ることではなく、不穏や行動化を抑える程度にするべきでしょう。
2)帰宅妄想
帰宅妄想は認知症がある程度進行した場合に、見当識障害を背景に生じる妄想で
す。自分が自宅にいることが分からず、多くは家族の顔がわからないという家族誤
認や失認とともに出現します。 患者さんは、家にいるにもかかわらず「家に帰る」と
いって外へ出ていこうとします。よく観察すると、患者さんが帰ろうとしているのが、
生まれ育った生家だったり、 転居前に暮らしていた家のこととわかることもありま
す。ここが自宅だと事実を告げても納得せず、介護者は困難に直面することになり
ます。この妄想が出現すると、しばしば不穏、多動、焦燥、興奮を伴うことがあり、
家庭で生活している場合には介護がむずかしくなります。午後、夕暮れどきに多く
みられます。
説得を試みても、見当識障害を背景とした妄想のため、なかなか困難です。対応
に困って内側から扉に鍵をかけたりすると、かえって興奮させることになりかねませ
ん。患者さんに状況を分からせることをあきらめるのがまず肝心です。一旦いっしょ
に家を出て、近所を周りながら本人の気の変わるのを待つなどして、気を紛らわせ
てあげることが対応として有効です。
3)心気妄想
実際は問題ないにもかかわらず、不治の病にかかって余命いくばくもないと確信し
てしまいます。
4)罪業妄想
自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったために家族や友人に迷惑がかか
る、警察につかまるなどと思い込んだりします。
5)貧困妄想
お金が一銭もなくなってしまった、明日からの生活ができないと思い込み、生きて
いても何の楽しみもない、周囲に迷惑をかけるばかり、将来に何の希望もないとい
う気持ちが強く自殺企図に至ることがあります。
6)幻覚
認知症の初期から中期にかけて幻覚が現われることがあります。特徴的な幻聴とし
ては、「母が呼んでいる」とか「息子が帰ってこいと言っている」などのように願望が
そのまま幻聴となって聞こえてくるものです。孤独感や不安感が背景にあることも多
いので話を聞いたりそばにいてあげる時間を増やすのもひとつの方法です。否定的
態度をとることは禁物ですが、本人がそれらに巻き込まれないように、本人が困っ
ていることに同情をよせるような態度をはっきりと表わすことが大切です。
幻聴の声に支配されて徘徊や不穏が起こる場合には少量の抗精神病薬の投与
が必要になります。また、皮膚の中に虫がはっているというような幻覚を訴えた場合
は、実際に特定部位の痛みや違和感があったり、本人が身体的症状を受け入れら
れないことも関係しています。 幻視は、夢によく似た体験でせん妄のような意識障
害によるものであったり、意識障害がなくとも白内障のある患者さんは糸くずやほこ
りなどを見て虫がはっていると訴えることがあります。薄暗い部屋だとこのような錯
覚が生じやすいので室内を明るくすることもひとつの対策です。
7)幻覚妄想状態
老年期には、大事なものや拠り所にしているものを失うことに対する不安と判断
力の低下が重なって、妄想が生じます。これに、幻聴(実際にはない音や声が聞こ
える)と幻視(実際にはないものがみえる)を伴うことがあります。例えば、近所の人
が嫌がらせをする、自分の悪口を言いふらしているといった家族や近隣の人を対象
とした被害・関係妄想がみられることがあります。